永遠の旅人日記

好奇心一杯に生きて来た人生。テーマは、女性用バイアグラから橋下徹まで、かなり広範囲。

欧米人は卑怯?

大相撲

大相撲で、急成長中の外国人力士が居たとします。日本人力士が勝てるように、大相撲協会が、突然その外国人力士の得意技を禁止技にしたら、皆さんはどう思いますか?
いくら日本人力士のため、といってもそんな卑怯なこと容認できませんですよね。日本人としてはそれが普通です。
でも、欧米人は、こんな事を平然とやるんです。

勝手にルール変更

「欧米人は、自分たちが勝てないと思うと、かつてにルールを自分達に有利に変更する。なんて卑怯な奴らなんだ!」と私が憤ったことが、かつて二度ありました。

ケース1 スキーのジャンプ競技

1998年の長野オリンピックで、日本ジャンプ陣は、団体金メダル、個人でも船木が金メダル、原田が銅メダルと、大勝しますが、その直後、ヨーロッパ勢が牛耳る国際スキー連盟は翌年に、ジャンプ用スキーの長さに関するルールを、背の高いヨーロッパ選手が有利になるように変更してしまいます。
その後日本のジャンプ陣は、長い低迷期に入ります。

ケース2 F1レース

1987年マクレーラン・ホンダが16戦で15勝します。すると英国に本拠地のある国際自転車連盟(FIA)は、露骨にもホンダか得意なターボエンジンを禁止にしてしまうのです。

この二件は、私の頭の中で、モヤモヤとしたままでしたが、最近、このことを正面から取り扱かった書籍を見つけましたので、早速読んでみました。


著者の青木さんによれば、
日本人は、ルールは与えられるものとして扱うが、
欧米人にとってはルール作りも闘いのうち だそうです
ルールの前に、各人の持つブリンシプルがある。これは、各人が持つ「美学」のようなもので、戦国時代に、上杉謙信武田信玄に塩を送った例は、まさに ブリンシプルである。
但しこれは、各人の勝手な「美学」だから、人に強要できるものではない 
日本人の、ルールを与えられたものとして潔くたたかう
というのは日本人特有の美学・ブリンシプルであり、欧米人に強要出来ない、という説明でした。

どうでしょう? 皆さんは、納得しますか?
私の感想は、半分納得です
不満の残った部分は、
スポーツで勝敗に影響するルールを急に変えられてもなあ・・・ でした

反例

この本の著者は、さらに、日本叩きでは無い事を証明する反例がある、と言います。

ジャンプ競技の例では、1999年にルールが変更されたあと、世界選手権を3連覇したのは身長わずか169cmのポーランド人だった。
日本は単に、新ルールに適応するのが遅かっただけ、だと言います。

ケース2では 大分前になりますが、1953年にフェラーリがほとんどの試合に勝った時にも、それまで許可されていなかったターボを許可するという変更があり、ノン・ターボのフェラーリはその後勝てなくなった。
FIA会長は、「特定のメーカーが圧倒的に強くなり連勝を続けるのは、長期的に見てF1の人気を落とすから望ましくない」と言い切ります。
要するにプロモーターとしての、確信犯です。

確かに、大相撲でも一人の横綱が圧倒的に強い場所よりも2-3人のライバルがしのぎを削る場所の方が盛り上がることは確かです。
ではその圧倒的に強い横綱を負かすために大相撲のルールを変えるか、というと日本人はそこまで望んでいません。

私としては、この本に書かれている内容は渋々ながら納得しました。
少なくとも、上記二件において、欧米人は卑怯! とは言い切れなさそうです。