永遠の旅人日記

好奇心一杯に生きて来た人生。テーマは、女性用バイアグラから橋下徹まで、かなり広範囲。

日米大学入試 比較

はじめに

以前、息子が米国の大学を受験する時に、少し手伝っていて、びっくりしたことがある。
同じ大学でありながら、日本とアメリカで、求める人材が全く異なる。従って大学入試の合否判定の基準もも全く違う、ということだ。

米国の大学入試=AO入試

米国の大学は、全てがいわゆるAO入試だ。ここでAO入試.という言葉には注意が必要だ。日本のAO入試には、かつての一芸入試的ニュアンスがあるが、米国のAO入試は、Admission Officer と呼ばれる担当者が、全責任をもって、
各学生を多方面
( 高校の成績、SATの成績、高校のクラブ活動歴、ボランティア活動歴、高校からの推薦状、本人の作文、面接 など)
から評価し、合否を決める方式を意味する

学力は、足切り

日本の退学は入試の点数のわずかの差で合否を決める。
米国で学力は足切りに過ぎない。
日米の最大の違いは、米国には各大学独自の入学試験は一切無いということだ。
ハーバードの入試問題、スタンフォードの入試問題などというものは存在しない。
唯一学力をはかるのは、高校の成績以外には、SATと呼ばれる、日本のセンター試験のような全国共通試験だけだ。
しかも、センター試験より易しい。
従って、超一流校の受験生ならば、数学と英語のSATがどちらも満点であることも珍しくは無い。
いいかえれば、米国の入試には、超一流大学でも、ある程度の学力があれば充分であって、日本の大学のように独自の学力試験のわずかな点差で合否を決めるのではない、ということだ。

では、何で差をつけるか?

当然の質問である。
ここで、少し歴史を振り返ってみよう

アメリカは、移民の国である。
1620年のメイフラワー号を皮切りに、主にヨーロッパ各国から様々なバックグラウンドの人が、大陸に新天地を求めてやってきた。
ある意味、そのままでは収拾がつかなくなりそうな、群衆である。
メイフラワー号からわずか18年後の1638年に、最初の大学としてのハーバード大が設立された。
こうした背景を踏まえると、ハーバード大学設立の目的が、リーダーの育成であることに、納得が行くであろう。
大衆に、進むべき道を示し、旗を立てて先導する人間、すなわち、リーダーの育成が、大学設立の目的だった。

リーダーシップ

こうした伝統は今でもアメリカの大学に脈々と受け継がれている。
だから、
先ほどの「では何で差をつけるの?」の答えはリーダーシップである。
勿論、リーダーシップだけ ではないが、リーダーシップを要求されるのは確かだ。ほかには 志の高さ などもあろう
アドミッション・オフィサーは、上記の各情報をもとに、志願者のリーダーシップその他の資質を総合的に判定するのである、

米国の高校生は幸せ

日本にくらぶてアメリカの高校生は、幸せだと思う。
なぜなら、高校で良い成績をとり、活発なクラブ活動を行い、内外でリーダーシップを発揮するなど、良い高校生活を送ることが、即ち、良い大学に入れることに直結しているからである。
ひるがえって日本。
良い大学に入れるかどうかは、一発試験で良い成績が取れるかどうかの一点に掛かっている。
高校の成績、クラブ活動など三年間の高校生活は、全く無関係である。

言い換えれば、日本でよい大学にはいるには、忍耐力、従順さ、 記憶力、多少の論理性 が必要条件であって、本人の性格、志、リーダーシップ等は全く考慮されないのである。

おわりに

今日のブログは、別に米国の入試制度を紹介する為のものではない。

二つの問題提起である
1. 大学卒業生は、企業でも自治体でも、中核を占める人材だ
その選抜を、今のように、解けたからといって、どうでもよいような高度な一発入試問題、のわずかの点差で決めて良いのか?

2.今の制度のもとでは、高校生活と、大学入試結果が、全く切り離されている。これで、充実した高校生活を送れ、という方が無理ではないのか?

私の息子は、一学年がわずか50人という米国の全寮制の高校に進んだ。
あとから聞くと、同室の男のベッドに別棟の女子生徒が窓から忍び込む、という「事件」もあったらしい。息子はそのような「僥倖」には恵まれなかったようだが、大学入試のプレッシャーもなく、大変に楽しく、そして充実した高校生活が送れたそうだ。