京都の不思議な住所表示
京都の住所表示
例えば、京都市役所の住所は、
「京都市中京区 寺町通御池上る 上本能寺前町488番地」と、やたらに長い。なぜこんなに長いのか?
京都の住所には、ほかでは見られない、上る 下る という言葉があるのは、ご存知の方も多いと思う。
上る は北に進むこと、とは説明を聞けばわかるが、なぜこんな言い方をするのか?
町名+番地 表示
先の市役所の住所のうち、太字部分は無くても位置は特定出来るので、Google Mapで調べる様な場合には、太字部分を省いて入力する。
( 2ー3年前は、太字部分も含めて入力するとエラーになった。最近は、太字部分を削除して聞き返してくる。Googleも賢くなった)
ではなぜ、太字部分があるのか?
人間用表示
答えは、町名と番地だけでは、Googleは位置を特定できても、人間は目的地に辿りつけないから。
郵便も配達されないらしい。
その理由は主に二つ
- 京都には、小さい町が無数にあり、京都人に町名を聞いても知らないことが多い。
- さらに、同じ町名が重複してやたらと存在する。例えば、亀屋町は中京区内に5箇所存在する。他にも区内に同じ町名が複数存在する町名が30以上!
従って、町名と番地だけ聞いてもピンと来ない場合がほとんど。タクシーの運転手に市役所の住所「上本能寺前町488番地 に行って」と言っても「はぁ?」と聞き返されるのがオチ。
そこで、人間用に考えられたのが、上る、下る。
京都の通りは、東西南北に伸びており、さらに、ほとんど名前がついているから、通り×通り で交差点を指示し、後は 上る、下る 東入、西入と、建物名があれば、済んでしまう。人間にはその方が遥かに便利。
両論併記
しかし、上る というだけでは、若干アバウト。100%位置が特定できるわけではない。
そこで、京都の住所表示には、人間用の表示と、町名+番地表示が併記されているのであんなに長くなる。
正式住所 (町名+番地) の方は、住所なのに、道案内にはまるで役に立っていない。不思議な住所表示だ。
方向がわからなくなったら
従って、京都の街を歩くときは、常に東西南北を意識する必要がある。
もし、方角がわからなくなったら、
交差点の真ん中に立ち、四方をぐるっとみまわす。山の見えない方角が南。京都は、東山、北山、西山に、囲まれており、南の宇治方面だけは開けているからだ。車にはねられないよう注意しよう。
最近は、スマフォの普及で簡単に位置や方角がわかるので、「後輩に偉そうに言えない技」になってしまったのが残念。
おわりに
先に、京都は「小さな町が無数にある」と書いたが、ちょっと数えたら、中京区だけで500町! 多いとは思っていたが、マジかよ!という多さ。
皆さんも下記のリンクで是非確認してみて下さい。
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Tポイントカードの「怪」
はじめに
Tポイントカードの会員数は、実に5000万人という。これを提示すれば 0.5-1%の割引(ポイント)が得られる。チリも積もれば山、と思って利用している方も多いと思う。
だが、なぜ店が割引いてくれるか、ご存知ですか? 漠然と「常連だから」と思っていません?
実は、そんな甘いものではありません。
Tポイントカードの概要
もともとは、CCCが運営するビデオレンタルチェーン TSUTAYAの会員カードから発生。1業種1社制で、参加会社を募っている。有名どころでは、
ファミリーマート
ドトール
ENEOS
など、 100社以上、30万店が参加し、会員数5000万人という、巨大共通ポイントシステム。ユーザーは、これらの会員企業で買い物の度に、0.5%-1%のポイントが得られる。
割引(ポイント)と引き換えに渡しているもの
意外と知られていないようだが、このカードは、単に常連だから割引いているのではない。レジスターと連動して、皆さんの購買履歴を一品一品記録し、本社に送っているので、その代償として割引いてくれるシステムだ。
Tポイントカードを申し込む際には、住所、氏名、性別、生年月日、を記入しているはず。
従って、Tポイントカード本社のコンピュータを覗けば、貴方が何才でどこに住んでいる、いつどこのドトールでどんなコーヒーを飲んだか、どこのENEOSでどれだけ給油したか、どこのファミマでどんなお弁当を買ったかまで、Tポイントを使った全ての購買行動が詳細に記録されている。
Tポイントの商売は、購買データの販売
Tポイントは、参加企業のレジを通して収集したこれらの膨大なデータをある程度集計加工して、参加企業に販売するのが本業。
個人情報が販売されている
今、問題なのが「個人情報提供」の問題。Tポイント本社が、昨年11月より会員規約を変更、Tポイントの参加会社に会員情報の提供を始めることを発表した。これまでのように、集計加工されたデータなら問題は無い。しかし、会員情報ということは、すなわち住所・氏名などの、個人情報だ。一年前の話で、ネット上ではかなり話題になったが、5000万人の会員のうち、何人が気づいているだろう?
「個人情報がどこまで生で渡されるか?」について、Tポイント側の説明はしごく曖昧。
私の推測では、例えば、ドトールが、Tポイントから、
「20-50才の男女で、この三ヶ月に、ファミマでスタバのコーヒーを3回以上購入した人の住所・氏名リスト」
を購入して、DMを打つ位のことは、やっていると思う。
自分の個人情報が提供されることがイヤなひとは、HP上から拒否できることになってはいる。しかし
- 「第三者への個人情報提供」がデフォルト設定となっている
- 会員が、それを拒否する場合には個人ページにログインして拒否の手続きをしなければならない。
- その手続きも、約80社に上る提供先企業リストをひとつずつ手作業でチェックを外さなければならない。
- 「すべてのチェックをはずす」というボタンが、リストの先頭ではなく、一番下に置かれている、
というあたりに、その意図がミエミエだ。
おわりに
現在、マイボイントカードで、個人情報がどうのこうの、と世の中が騒しい。
しかしその一方で、既に5000万人が、1%の割引と引き換えに個人情報を売り渡して平然としているのを、どう解釈すべきなのだろうか?
全ての購買行動が記録され、そのデータが参加企業に販売されていて、気持ち悪くないのだろうか?
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(参考にしたサイト)
京都のちょっと怖~いお話
風葬・鳥葬
京都には鳥辺野(とりべの)・蓮台野(れんだいの)・紫野 (むらさきの) ・化野(あだしの)など、最後に野の着いた地名が幾つかある。これらには、かつて葬送の地であった歴史がある。
平安時代あるいはそれ以前、京都では、人が死ぬとよほど身分の高い人を除き、決まった場所に放置し、カラスとか鳥類・虫が屍肉を食い尽くされるままにした。 これが、風葬・鳥葬。(後世には棺に入れる土葬になる)
その代表的な場所が、上記の「野」が付いた地点。
蓮台野と千本通り
蓮台野は、大徳寺の西側、船岡山西麓(千本釈迦堂の付近)
千本通りはその蓮台野へ死者を運ぶ道であった為、通りに沿って無数の卒塔婆(そとば)が立ち並んでいた事から千本通りと名付けられた。
また、千本通を北へ上がると、船岡山公園の手前に「閻魔前町(えんままえちょう)」という地名がある。これはあの世(蓮台野)の入口、閻魔様の住む場所としてつけられた地名だという。
化野の念仏寺
伝承によれば弘仁2年(811年)、空海が野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのに始まるとされ、後に法然が念仏道場を開き、念仏寺となった。
境内の約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、明治時代に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたもの。毎年8月23日・24日の「千灯供養」は、「西院の河原」にまつられている数千体の無縁仏にろうそくを灯して供養が行われる。
鳥辺野
鳥辺野は今の清水寺付近。清水の舞台の下あたりらしい。
延鎮上人がそれらの魂を供養しようと、宝亀9年(778)に“音羽の滝”近くに庵を結んだのが清水寺の始まり、と言われている。
六道の辻
その清水寺と、祇園の建仁寺の間に、六道珍皇寺、という寺があり、その真ん前が、六道の辻。六道(ろくどう、りくどう)とは、仏教における、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道、という6種類の心の状態のこと。
昔は亡くなったひとの棺をこのあたりで僧侶が野辺送りをした、という。
上の地図で右下の旗が立っているところが六道珍皇寺。左上の隅が蓮台野。
従って、六道の辻は、現世と、地獄の境目。
六道珍皇寺は、祇園からそう遠くない。平安時代は、鴨川が三途の川でその東側は、もうあの世だった。もっとも、平安京の人口は、10万人と推定されているから、今の15分の1程度。そう考えても不思議はない。
そして、少し東に歩いた清水寺のあたり、鳥辺野は、野原に白骨死体が散乱、、、怖~ い
スーパー官僚 小野篁
平安時代、三筆で有名な、小野道風の親戚に、小野篁(たかむら)という、スーパー官僚が居たという。
彼は、昼間は朝廷に出仕し、夜は閻魔王宮に出仕して居たそうだ。その時、篁が、地獄との往来に使ったという、「冥土通いの井戸」が、今も六道珍皇寺境内に残されている。
この辺りが、現世と地獄の境目なら「連絡通路」があってもおかしくない。
幽霊子育て飴
その「六道の辻」近くに、幽霊子育て飴を売っている店が何軒かある。何故「幽霊子育て」なのかとおもってみたら、逸話があった。
むかし六道の辻にある飴屋さんに、夜な夜な飴を買いにくる、顔色の悪い女がいた。不審に思った飴屋さんが跡をつけると、女は鳥辺野の墓地のあたりでスッと消えた。翌日、捜しみると、そこは出産直前で亡くなった女性の墓で、赤ちゃん鳴き声が聞こえ、飴がでてきたという。墓の中で産んだ赤ちゃんを育てるために、幽霊となって飴を買いにきていたらしい……。
その後、その赤ちゃんは高僧に育ったという。
ちなみにこの話をもとに「ゲゲゲの鬼太郎」の誕生秘話が生まれたのだそうだ。
六道詣り
毎年8月7日~10日には「六道詣り」がある。お盆に先祖の霊が冥土から戻ってくる際に、六つの道に迷うことなくお迎えできるようにはじめられた行事。
霊を現世に呼び戻すために、六道珍皇寺で迎え鐘が打ち鳴らされる。
送り鐘の 矢田寺
六道珍皇寺の迎え鐘に対して送り鐘は、矢田寺が有名。矢田寺は、六道珍皇寺とは離れた、寺町通りの中に、あたかも一つの商店のように町に溶け込んだ形でこじんまりと存在する。
8月16日に死者の霊を冥土に送り返すために鐘がつかれ、多くの参拝者を集める。
お地蔵さんの姿をした ぬいぐるみのお守りがかわいい。
こうした話しを見聞きすると、平安時代には、地獄というもの、あるいは、死者との交流が、いまよりずっと身近な存在としてあったのだと、思う
京都 の散歩道
はじめに
以前、京都ガイドのアプリを作ろうと、チャリンコで市内を述べ300km位走り回った事がある。その時の経験から。
京の散歩道としては、哲学の道、嵯峨野の竹林の道、がダントツに有名だが、私のお勧めは、、、
山裾の道
特に名前がついていないようなので、私は勝手に「山裾の道」と呼んで気に入っている。
「哲学の道」の100m~200m東側の山裾を哲学の道に平行して歩く散歩道。霊鑑寺~安楽寺~法然院~銀閣寺の門前を結ぶ。
道沿いには店もほとんどなく、人通りも少なく、ひっそりとした山寺の雰囲気を楽しめる。
賑やかさが恋しくなったら、どこからでも「哲学の道」に降りていくことができる。
糺の森(ただすのもり)
下鴨神社の本殿と河井神社の間に広がる原生林。歩くと厳粛な雰囲気に包まれる。都市の真ん中にこのような原生林が残っているのは京都ならでは。
東京ドームの3倍の面積があり、自然の好きなひとには、こたえらないだろう。
インクライン
川端通り~府立美術館前~インクラインまで桜並木が続く。桜の時期はもちろんだが、秋、桜の葉の紅葉も美しい。
途中、無鄰菴、市美術館、近代美術館、細見美術館など見所も多い。
桜の葉の紅葉
インクラインは、明治時代、琵琶湖から京都に水を引く琵琶湖疎水がひかれ、水運が発達したが、発電用を兼ねていたため途中急な部分があった。その間船を台車に乗せて陸上を運ぶために作られた。その痕跡を残すレールが今でも一部残っている。
桜の季節には、人出の多い有名な散歩道ではある。
終点にある、インクラインの、明治時代風な建物と桜の取り合わせが、特に好き。
半木の道(なからぎのみち)
鴨川を遡るとYの字型に左右に別れる。その左側(賀茂川)の堤防上にある散歩道。京都府立植物園の西隣。その植物園の中にある「半木神社」の名前に由来している。
1970年代に京都鴨川ライオンズクラブの手によって多くの紅枝垂桜(べにしだれざくら)が植樹され桜の時期にはライトアップもされ、人気のスポットとなっている。
春の「枝垂れ桜のトンネル」は格別だが、夏の深緑、秋の紅葉など四季おりおりに楽しめる。
石塀小路
祇園のすぐ近く、それなりに知られてはいるが、店も桜もないので祇園のメインストリート花見小路に比べれば、人出は十分の一程度。
ただ、京都のイメージそのままの、板塀と石畳が続き、風情があるので私の好きな場所だ。
京都、特に祇園の面白いところは、風致条例があるので、外観は普通の格子戸に統一されている。だから、格子戸の奥に何があるか、一見しただけでは分からず秘密めいている。
だが、ガラッと戸を開けると、中は、フランス色満貫の高級フレンチレストランだったりする。
石塀小路にも、入口は格子戸、中は故石原裕次郎さんが設計した赤い絨毯BARで、京大の学生がアルバイトしている、という店が隠れていたりした。
とにかく、京都は奥が深い。探せばいろいろな魅力があるのが魅力。
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吉野と京都の桜は一ヶ月楽しめる
はじめに
昨日の紅葉に続いて、今日は桜について。
前に、吉野と京都に花見に行った時に、おやっ?とおもった。
桜を楽しめる期間が長いのだ。
東京のひとは、桜はほぼ二週間、と思っている。咲きはじめてから満開まで約一週間。満開から散るまで一週間。都合二週間。
しかし、吉野と京都では、どちらもほぼ一ヶ月間、花を楽しめる。理由は、、、それぞれ異なる。
吉野の桜
吉野で花期が長い理由は単純。
吉野山の千本桜は、山裾から頂上に向かい、下千本、中千本、上千本、奥千本に分かれる。
標高差があるから、当然一番標高の低い下千本から咲き始め、中千本、上千本へと移る。
下千本で咲き始めてから、奥千本で散るまで約一ヶ月ある、というわけだ。
京都の桜
では京都は、何故一ヶ月も桜を楽しめるのだろう? 京都には吉野山ほどの高低差はない。
ここで、ちょっと話しを東京に戻す。ご存知の様に東京の桜は、ほとんどがソメイヨシノ。これは、江戸の末期から明治にかけて、染井村(今の豊島区駒込) の園芸職人達によって交配されて作り出された品種。
吉野の名前が付いているのはマーケティング上の理由で、吉野のヤマザクラと遺伝的な関係はない。あっと言う間に全国に広まったが、接ぎ木や挿し木で増やすので、実質上クローン。全てのソメイヨシノの遺伝子が同一なので、一斉に開き、一斉に散る。だから美しい。だから二週間。
さて、京都にもソメイヨシノが多いことは多い。しかし、京都の場合は千年の歴史を背負っている分、バラエティ豊かな桜がある。
祇園枝垂れ桜
円山公園にある、「祇園枝垂れ桜」や、遅咲きの「仁和寺の八重桜」などが有名だが、それだけではない。下記にも述べられているように、京都には、昔から続く特色ある桜が多く、満開になるタイミングが微妙にズレるので丸々一ヶ月楽しめる、というわけ。
秋は京都
ありとあらゆる雑誌が、毎年この季節になると「秋の京都」と書きたてる。
勿論、京都の紅葉は美しいが、京都には桜の名所も多いはず。なのに、春よりも秋に京都の存在感が大きい。何故ことさら秋なのか?
ちょっと考えてみた。
桜の名所は全国各地にある
桜は日本全国どこにでもある。しかも、その大部分はソメイヨシノだから、どこで花見をしても大きな違いは無い。だから、わざわざ京都まで行く必然性はさほど高くはない。
紅葉の名所も数多い
紅葉の名所も日本全国にあるが、桜との大きな違いが一つある。
紅葉な場合、ほとんどの名所が山の中であって、市街地で紅葉の名所というのは、京都以外に思いつかない。
例えば、東京都内に桜の名所は多いが、紅葉の名所というのは聞いたことがない。
市街地で手軽に紅葉が見られる、という意味で、京都は圧倒的に優位である。
何故京都だけなのか?
では、なぜ京都だけ、都会なのに紅葉があるのか?
- 盆地であるため昼と夜の気温差が大きい
- 鴨川が流れていて適度な湿気がある
と説明されることが多いが、盆地と川だけなら、他にもあるはず。
寺社の存在
私は、寺社の存在が大きいと思う。
2014京都紅葉スポット、人気ベスト10を見ると、下記のようになっている。
1.清水寺
2.東福寺
3.嵐山
4.永観堂
5.南禅寺
6.高台寺
7.金閣寺
8.三千院
9.貴船神社
10.神護寺
嵐山を除けば、7位まで全て市街地の寺院だから、紅葉は庭師が人工的に植えたものだ。しかも、単に植えるだけでなく、常に苔の緑と深紅の紅葉というコントラスト、及び背景の建物を考えて作庭されている。それが、日本人の美意識に訴えて美しく見える。
昔、苔庭を作ろうとしたことがあるので分かるが、綺麗な苔庭を作ろうとしたら、手間がかかる。それを何十年、何百年継続しないと、本物の庭園にはならない。それは、寺社の財力と、継続性があって始めて出来ることだろう。
こうした庭は一朝一夕には作れないから、秋の紅葉は京都の独り勝ち状態が続くのだろう。
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中米の旅
はじめに
もう30年以上前だが、中米を旅したことがある。米国に留学していた時の夏休み。「日本に戻ったら、なかなか行けない所に行こう」と中米の旅に決めた。
メキシコ
最初に行ったのは、メキシコシティからバスで一時間位にある、クエルナバカ、という街。スペイン語で、eterna primavera (永遠の春)という別名がある位、気候の良い所。
そこに、大学付属の語学院がある、と聞いて、3週間ほど滞在してスペイン語を習った。
元メキシコ大統領の別荘が語学院になっており、生徒は何十室もある客室に泊まる。
所長の奥さんが先生。私以外の生徒はフランス人のカップルだけ。スペイン語は英語に似ている単語も多く、そのカップルに「3分の1は見当がつく」と言ったら、「私たちは3分の2 見当がつく」と言い返された。そりゃそうだ、同じラテン系の言葉だもの。
レッスンで彼等の上達スピードが速く、ついて行くのが大変だった。
彼等はその後一年かけて、中南米を巡る、と言っていた。
私は、スペイン語で牛肉はバカ。ニンニクはアホ。牛肉のニンニク炒めは、バカのアホ炒めか、などと一人で喜んでいた。
グァテマラ
最初に訪ねたグァテマラで印象に残っているのは、ティカルの遺跡と、インディオの織った織物。
ティカルの遺跡
今にも墜落しそうな、オンボロの軽飛行機で行ったマヤ文明最大、最高の遺跡。ピラミッドの上に登って見渡すと、熱帯雨林から、周りのピラミッドのてっぺんだけがぬゥっと突き出ている。
隣の塔まで歩くと、ぎゃーとか、クーとか、熱帯特有の、鳥か猿の鳴き声が聞こえ、異様な雰囲気。遊歩道から外れると、何に出くわすかわからない感じでドキドキした。
インディオの織物
グァテマラは、原住民のインディオが目立つ国。彼等の手作りの織物がカラフルで独特。4-5mの反物を土産に一つ買って帰ったら、母にひどく喜ばれ、ベッドカバーにしてくれた。30年経ってもまだ健在だ。
コスタリカ
人口およそ500万人。(東京23区の半分、シンガポール位) 九州と四国を合わせた程度の広さ。
軍隊を持たない平和主義の国で、中南米の大統領が余生を過ごすところとしても有名であった。
ここは、何と言っても美人の産地。中南米の美人国3Cとは、コスタリカ、コロンビア、チリを指す。期待して行ったが期待通り。右を見ても左を見ても美女だらけだった。
この彼女は美人過ぎますね。
これは「ワールドカップの美人観客特集から」拾った写真。
でもコスタリカ人であることは確か。
中米は、どこでもそうだが、暑い国々なので、標高の高い所に人が集まる。首都サンホセの標高も1150m (軽井沢は900m)
サンホセから、東に向かって太平洋岸まで延びている鉄道があり、一度乗ったら面白かった。
最初はコーヒー畑の中を走るが、次には、バナナ畑の中。そして最後の海岸近くは、サトウキビ畑に変わる。標高に応じて植生が見事に変わる。
コーヒー豆が実っているのを見たのも初めてだったし、駅に着くと、少年が、コカコーラの瓶にコーヒーを入れて売りに来る。さすがに旨く、コーヒーも採りたてが旨いのかなぁ、などと考えた。
コロンビア
コロンビア本土から北に700kmほど離れた、カリブ海に浮かぶサンアンドレス島(面積は約26km²しかない)という小さな島を訪ねた。
「七色の海の島」と言う別名がある位、海中が美しく、毎日シュノーケリングしたり、地元の美女達 (と言っても子供達) とビーチで戯れていた。
この時、海中の景色があまりに綺麗だったので、翌年、留学の帰りに、東京に新婚の妻を待たせたまま、ハワイで一週間かけてスキューバのライセンスを取得した。
おわりに
この時以来、中米には、とんとご縁がない。この時行っておいて良かった、とつくづく思う。
「思い立ったが吉日」というが、旅は行くチャンスがあった時に、ちょっと位無理してでも行かないとダメ。本当にそう思う。
私もそうしなかったために、行きそびれた所が、何箇所かある。
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