永遠の旅人日記

好奇心一杯に生きて来た人生。テーマは、女性用バイアグラから橋下徹まで、かなり広範囲。

龍馬が 大人物足りえた 理由

突然坂本龍馬の話です

司馬遼太郎による創作部分もかなり多いとは承知していますが、仮に「竜馬が行く」が史実だと考え、何故に龍馬が、薩長同盟船中八策大政奉還など、あそこまで大きな仕事が出来たか? と考えると、見過ごしてはならないものが、彼の「体力(脚力)」ではないか、と思うんです。
そう、龍馬には、日本列島の中を歩き回る脚力があった
実際、四国を出てから、江戸と京都往復に限らず、長崎、薩摩、長州に何回も行っているし、金策に越前にも行ってますよね。この「脚力」を可能にした「体力」こそ、龍馬を一流の人物にした原動力ではないか、と考えるわけです。

勿論、メールも電報も電話・新聞・TVのなかった時代です。多分当時のひとは飛脚のはこぶ「手紙」と「人物の往来」のみによって、情報が伝わって行ったのでしょう。ということは、その情報量は極端に少なかったと思われます。
現代ならメールで一秒のものが、一週間も10日もかかったわけです。さらに、人力で運ぶわけですからコストも半端無かったと思われます。江戸から大阪まで375g程度のものを最短3日半の特急便で送るのに30万円もかかった様です。
また、手紙一通に限定し、3週間程度かかることを許容しても、一通が1000ー2000円という世界でした(参考1.2)
現代なら20倍の数Kgの荷物を翌日に届けてもらって1500円くらいですから文明の発達は凄いですね。

そうした中で、江戸の最新情報を頭一杯に詰め込んで 京 に来た龍馬は、江戸の情報を知りたい志士に大もてであっただろうし、そこで得られた京の情報を萩にもたらせば、長州の志士にも大もてで、さらに新たな情報を豊富に仕入れることが出来たと思われます。
こうして幅広く歩き回ったことにより、「各地の情報を一番多く持っていたから」「その情報をもとに大局観のある的確な情勢分析と提案」が回りの人々を説得するだけの力があったから、龍馬はあれだけの仕事をできたのではないでしょうか?


全く逆に、もし戦国の世にメールがあったら、と夢想してみるのもおもしろいです。
その時代にメールがあれば、信長の死は瞬時に日本国中に知れ渡り、秀吉の中国大返し、なども成立しなかったわけですから。

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以下は、参考にしたサイトです

(参考1)江戸時代の飛脚料金
http://homepage1.nifty.com/saga-t/kappa/watashi/hikyakuわ.html
これだけでは、一両や 銀一匁 が現在の価値にしていくら、かわかりませんね
そこで次のページを見てください


(参考2)江戸時代の金貨・銀貨の価値
江戸時代の金額や数値に変換
これを見ると、ざっと
一両が7万円 銀一匁が約1000円 銀一分は100円 銭一文が15円くらいです